思い出したときに、不規則に
このブログのみ、なんでもないことを
書いています。

情報がスイッチひとつで入ってきたこの間までとは違って、スイッチがないから入ってこない。

スイッチがあった頃はずいぶんと便利だったんだなぁと思うけれど、なくなった今は不便でありませんでした。

あの頃に静かにみえたことが賑やかで
賑やかにみえたことが静かで
きらびやかにみえたことが鈍くて
鈍くみえたことがきらびやかで


物事は間逆のことがいつだって隣り合わせているはずなのに、片方に気をとられてしまっていたんだと、思いました。


これがなかった頃ってどうしていたんだろう。

ああ、誰かに聞いたり、出かけたり、本を買ったりしていたんだった。


そこからたまたまた思いがけない出来事があったりなかったりして、時々の出会いや知れた物事が奇跡みたいだった。


その頃は自分という幹から、枝が分かれていくような感じがしていたけど、

今の便利な環境は目の前に情報という枝がたくさんあってそれぞれが自分の幹を探しているようにも感じます。

自分のためでも誰かのためでもどちらだっていい、

生きていて、こっちが欲しいと思うほうに枝を伸ばして、教えたり教えてもらったりしながら葉や花をつければいいし枝だけでもいい気がします。