先日、竹籠を編むワークショップに参加しました。

紙をまっすぐに折れない、切れないとか、粘土を触ると結果いつも平たい岩みたいなのしか出来上がらないとか…驚異的な(笑)不器用は普段から友人にネタにされるほどですが

やっぱり誰よりも遅くって、イビツな出来でした。

それでもすでに愛着が出て
1からものを生む大変さとか嬉しさとか、難しいことは抜きにしていただいて単純に
大事なことだなぁって思いました。

この竹籠編みにお誘い頂いたかたから以前にものをつくり上げることについてのお話しをお聞きしたとき、

何かをつくるときって、考えてみたらつくるためのものは作らないで買っているなぁ

って言われたことにはっとしました。

もっと細やかなお話で、この言葉だけを引っ張り出すと語弊があるかもですが、、

今回ワークショップで竹籠編みを教えてくださったかたは籠をつくられる職人さんで、籠の材料となる竹からご自身で切りに行かれ用意されるとのことです。

それは多分いろいろな理由からされていることだと想像するので
簡単にスゴイ!なんて言ってしまっては失礼だと思うのですが

必要とするものを自らの身体で用意することのあらゆるエネルギーは、
バカでかい!(結果こんな表現ですみません)

と感じてまた

何かを買って用意するときも
それぞれがどこかのだれかのもとで生み出されていることをあらためて思い浮かべて、頭がいっぱいになりました。


そう思いながらも日々何かを買ってものを見ない日はなくって

生きるためにものがあるとしたら
ものために死んではいけないなぁと

情けないくらい不勉強なので
感覚ばかりですが
思いました。


職人さんが竹を割いてゆくのを見せてくださったのですが
その姿に祖父や父を思いだしました。