先日、出先で疲れてしまって通りがかった公園のベンチで休憩してたら、足元に葉っぱがいっぱい落ちてて、秋やなぁなんてセンチメンタルな感じになってたんですけど、その葉っぱの中に蛾が一匹紛れてて、その蛾の装いが物凄く葉っぱに寄せてはって(擬態っていうんですかね)、羽根の柄とか、形とか。
それが凄いクオリティの高さで感動しました。
この季節やから落ち葉的な感じにしてたりして、どうなってそうなったんかは知らんけど、命かけてるなー、プロやわーなんて思いながらチョコ食べてました。(食欲の秋)

ちょっと話し変わるんですけれど
「あ、この作品、誰かのやつをそこそこ真似てはる、、」ということに時々出会うことがあります。そういう類の話を聞いたり、直接見かけたり。

作品に対して単純に好きや憧れが露骨に影響することもあるだろうし、こんな風に出来たらな、という学びの過程かもしれないけれど、なんだかね、モヤっとします。

やってしまっている本人が一番苦しいかもね、と誰かが言ってたけれど、


長期に渡って真似た作風を続けてる感じの物ほどそんなに苦しんでる様子が伺えない。


時間をかけて、想いを込めて、試行錯誤した、その人の記憶が刻まれた作品を、単にモチーフや発想を一瞬で真似て、あたかも自分が作りましたというような存在のもの。
そんなものに限って本家より随分とクオリティ低めになってるのはなんでやろう。下品というか適当というか、荒さが滲み出てしまっている。

作品の出来るまでのいろいろな過程を飛び越えてその分楽しているというのに。そうやってできたものになんて言葉をかけていいものか。

作家のあいだでこの話題になると、真似る時点であかんやんという怒りを聞くけど、(そりゃそうだ)
私はどちらかというと、パクる自体への怒りより、パクるんやったら本家が感動するぐらいの高クオリティで完成させてみろ!公園にいた蛾みたいにな!!
と思います。

携帯を家に忘れて蛾の写真を撮れなかったので、今春に見た見事な梅の写真を載せておきます。

以上、蛾の擬態に感動した話でした。
(枝に真似る虫も好きです。)